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観光・グルメ

早朝の小樽観光!小樽運河・北のウォール街を散策!三角市場で海鮮丼を食べる! 北海道の旅#02

北海道旅行2日目。早朝に小樽市街を散策しました。小樽運河や「北のウォール街」と称された銀行・商社のレトロな近代建築物を観て、かつて石炭を運んでいた北海道で最初の鉄道路線である旧手宮線を散歩しました。
その後、小樽駅の横にある三角市場で海鮮丼を食べました。やはり、海鮮物は北海道は美味しいですね!

YOUTUBEで動画を公開していますので是非ご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=6wrvoKQ2yng

海運の街の歴史を今に伝える小樽運河

小樽駅前のホテルから坂を下って15分ばかりで、小樽運河に着きます。

坂の上に小樽駅があります。
坂を下る小樽運河があります

あいにくの雨でしたが、運河に石造の倉庫群がある風景は美しいです。
倉庫の外観は石造ですが、実は内側の柱や梁は、木で造られています。構造材を木材、外側を石とすることによって、工期短縮、経費削減が図れるとともに、高い防火性能を備えていました。
大正時代になると鉄筋コンクリート造の建物が出現し、次第に木骨石造の建物は建てられなくなりました。

運河沿いの倉庫は、運河から直接に荷揚げできるようになっています

運河を進みまむと荷揚げ風景のレリーフがあります。小樽は明治時代にニシンの出荷と道内で産出される石炭の積出港となり、また、日露戦争の獲得した南樺太との玄関口となったことからロシアとの交易が盛んとなり、急速に発展しました。

小樽運河は、大正12年1923年に完成しました。これにより、それまで沖合いから艀(はしけ)を使って荷揚げし、倉庫まで大八車などで運んでいましたが、艀が倉庫の近くまで直接行けるようになりました。戦後、埠頭ができたことにより役割を終えました。

かつての倉庫は、飲食店などになっています

小樽運河から坂を登ると北のウォール街と言われた、銀行や商社などの古い建造物群が現れます。最盛期には9行もの都市銀行が、小樽にはありましたが、小樽経済の衰退と共に次々と姿を消していき、2002年の三井住友銀行撤退により、小樽に都市銀行は無くなりました。

戦後、小樽が衰退した理由は、3つ考えられます。 

1つ目は石炭から石油にエネルギーが変化したこと。

2つ目は最盛期には100万トン近く獲れたニシンが獲れなくなったこと。

3つ目は「南樺太」の領土喪失や苫小牧港開港による交易拠点としての地位が低下したこと。

歴史的使命を終えた小樽運河と倉庫群は、1960年代に埋立ての危機に直面しました。しかし、市民の保存運動が展開され、10年の論争を経て、観光資源に生まれ変わりました。今や、観光は、小樽の基幹産業にまで成長しました。

旧 北海道拓殖銀行 小樽支店
旧 三菱銀行 小樽支店
旧 三井銀行 小樽支店
旧 越中屋ホテル
旧 北海道銀行 本店
旧 三井物産 小樽支店
旧 日本銀行 小樽支店

坂を上っていくと南小樽駅から手宮駅を結んだ貨物線が保存されています。

北海道で最初の鉄道開業区間の一部で、主として石炭輸送を扱っていましたが、1985年(昭和60年)に廃線となりました。

坂を上って、小樽駅近くの三角市場にやってきました。

三角市場は土地と屋根が三角の形をしていることから名づけられましたとのことです。

北海道の海の幸をお腹いっぱい食べてたいと思います。

三角市場
味処 たけだ
ANAと共同制作したANA丼を注文しました。生うに、かに、いくら、サーモンがのっています。
カニ汁とイカ墨のさきイカ、鯖煮つけがついてきました。

これから札幌駅へ向かいます。

小樽駅
これの鐘は「むかい鐘」と言い、明治から1965年まで列車到着の予報として鳴らしたそうです。
小樽駅は、1934年(昭和9年)に北海道初の鉄骨鉄筋コンクリート造りの駅舎として建てられ、80年以上経った今でも現役で使われており、国の登録有形文化財に指定されています。